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六代目蔵元 佐藤淳平 私の履歴書

模索の日々(楯野川新聞 2015年5月15日号より)

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いつも楯野川新聞をご覧いただき誠にありがとうございます。前回までは、リキュール「子宝」が好調に推移していくのと同時に、日本酒「楯野川」を存在感のあるブランドにしていく為にはどうするべきだろうか、という所までお話いたしました。

私が蔵に戻ってから、日本酒の銘柄を創業当時の「楯野川」に戻し、新たな地酒ブランドとしてスタートを切りましたが、それから10年くらいは、これといった特徴がありませんでした。

特定名称酒のみの造りというのは先代から引継いだものですし、山形酵母を使用した純米酒や純米吟醸を造るのも山形県では当たり前。また、出羽燦々などの県産の酒米を使用した造りというのもありきたりで、山形県内の銘柄の中でも特に際立っていたわけではなかったと思います。

ただ、焼酎ブームの嵐が吹き荒れる中、当時山形県の中で一番若い蔵元ということで、お取引先様からの期待や応援もあり、少しずつ日本酒の石数を増やしていくことができました。

しかし、蔵に戻ってから既に10年も経過していることから、新しい銘柄への期待感から買っていただけている時期はとうに過ぎており、今後は自力=お酒の本来の力量(品質やブランド力)で勝負しなければならないなと考えておりました。

「さて、これから蔵をどうしていくべきか。『楯野川』をどうしていったらいいだろうか。」

暫時、悶々とした日々を過ごしました。全量純米酒にシフトしようか、または全量山形県産米に統一しようかなど、様々なことが頭に浮かびはするものの、これといった決定打は一向に出ません。

当時の商品アイテム構成、日本酒市場、酒質、お客様の状況、今後の日本酒の行く末など、いろいろと考えれば考えるほど何もできなくなるような気がして、新たな一歩が踏み出せないでおりました。

六代目蔵元 佐藤淳平